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高野山東京別院、に行ってきた!

2016年02月23日 12:34


高輪台にある高野山東京別院に行ってきました。

高野山東京別院 入口


御府内八十八箇所の1番札所。

泉岳寺駅からも徒歩で10分くらいのところにあります。


四国八十八箇所を回ってみたいと思っていたんですが、
この場所を知りまして、とりあえずこちらに行ってみました。

写真を撮っていいのか、わからなかったので、控えました。
入り口だけ撮らせてもらいました。

本当に四国を回ったのとご利益が同じかはわかりませんけど、
本堂の中は実に厳かな神聖さが、いい緊張感をもって、姿勢を正されるような雰囲気で、
行ってよかったなぁ、とは思いました。

帰りは少し道にわざと迷って、東京タワーまで歩いて、帰宅しました。笑









誰かを頼りたい、誰かに頼られたい


『自分は何のために生きているのか』


哲学として突き詰めようとしなくても、

日常のふとした隙間に、入り込んでくる、

そんな素朴でもある疑問。


命題を悟ること、夢を追うこと、

明確に見い出せているなら、幸運だが、

そんなに強くない、誰かに求められることもない、

目標があっても、結局 自分自身のためであるなら、

いや、だからこそ、本気になれない。


毎日の単調な生活が繰り返されるだけの、簡単に想像できる日常であるとき、
変化がないことに恐怖し、それすら感じなくなる日が来るのではないかと恐ろしくなる。
贅沢な悩みであることを承知している故に、今より生活水準を上げてそれを維持するために汗を流そうなど思わない。
汗は流したくない。
楽でありたい。
でも、ときどき息を切らすような体験によって、生きていることを実感したい。

つまらない、ただの煩悩


誰かのためになるならいい。

頼られること、

それが過剰な期待になると重荷にしか感じられないときがあるけど、
存在していることが事実となる、
時間が共有される、
ほんの小さな歴史になる、

生きがいになる。


そう思う。


そして、頼りたい。

生きている時間が経つにつれ、
知りたくないことも知るようになる。

余分な知識が増える。


人間を始めた頃は、ひとりで立つのに必死になる。

生涯を終える間際には、自分を支える杖が必要になる。


自分では知りえないこと、自分に必要なことは、

常に自分の外にある。


ときに頼ることが求められるし、

頼れる(頼ることができる)人でありたい。






病院の内側に身を置くと、

重症で根治が見込めない患者さんは何を思って生活しているのか、気になるときがある。

急性期の患者さんで、治療が進み、回復して退院していく人なら、患者さんも医療スタッフも希望がある。

そうではない、慢性期の患者さんは、暮らしに何を思うのか、それはどう接すればいいのかにも関係する。


病院は、医療サービスを受けられる場所であり、

スタッフは賃金を受け取っている。当たり前だ。

だから、十分に頼っていいのである。


しかし、患者さん個人の人としての人生観なるものを考えると、

人によっては、頼られたいとどこかで思うところがある気がする。

その部分に面したとき、自然でありたいし、

仕事での顔だけでなく、人として付き合う、向き合うことも正解だと思う。

有限な時間を考慮すると、そうもいっていられないのも現実だが、

仕事であることの前に、何をもってこの場所にいるのかを大事にしたい。


医療スタッフとしては、病院に貢献したいのであるし、

患者さんにとっては、病院に求めることを十分に受けたいのである。

それがときに頼られたいのであれば、

人生の先輩であるかのしれない、
背景が違えば持っている知識もさまざまだ。

この時代にお互いが生きている時間に出会い、
一期一会にも手を交わしたならば、

それはもう希望にしてもいい。


と思い、願う。


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